希死念慮・増刊号

不定期更新。数年後とかかもしれない。

2022年2月7日見た夢

聖翔音楽学99期生の一員となり、アクロバティックな殺陣を演じていた。学校の帰り道、大場ななと一緒にドストエフスキーの話(読んだことない)やグロテスクな殺人の話をする。文豪ストレイドッグスの出典がほぼ存在しないも同然である事(そんな事はない。たぶん。)を二人で嘆いた。ある夜私の仲間の少女たちを陥れると言い放ち建物から意気揚々と出て行った女政治家に、背後から組み付き慣れた手つきで銃を奪い女の口内に銃を差し込み引き金を引いた。続けて外からやって来た仲間と思われる初老男性にも同様に、銃を口に突っ込み嘔吐させ戦闘不能にした。初老男性に手をかけた際急に申し訳なさが沸いてきて、私は地面に座り込み「おじさんはどこの所属の人間なの」と聞いていた。初老男性は嘔吐し息も絶え絶えで喋れない。喋るまで待っていると、初老男性の視線の先に意図を感じ私も振り向く。私の背後には初老男性の仲間と思われる十人程の黒服たちが歩いてやって来ていた。後ろにはパトカー。時間を稼がれていたのだ。少し考えれば気付くことだったが、油断した。今捕まるのはまだ惜しいな、もう少しシャバの空気を吸っていたかったなと思いはするが、今の状況から逃走は不可能なのも理解していて、ほぼ諦めていた。様々な年齢の黒服たち(全員男性と思われる)は、まず最初に私を石仏のたくさんある地下施設(暗いが天井が高い)に連れて行くと言った。私は、先程までの威勢はどこへやら、その地下施設内にある美術品に万一触れたり傷つける可能性に極度に怯えて、「抵抗する気はありません。私がその美術品群に万一転んでも触れないよう守っていただけませんか」と言い両手を差し出した。手錠を嵌められることはなく、私の周りを黒服の男たち囲むのみで移動した。

 

私は罪人となったが、自分の罪の重さを周囲の反応からはっきりとは測れなかった。1人手にかけただけとは思えない重厚な待遇、しかし常に監視はあれど牢に入れられる事も手錠も無く、何をどう行動するかは一日で予定が決められているとはいえ、逆に監視さえ一緒にいれば基本的に手足も見る・聞く・歩くも自由だった。

私の罪の記憶は、先程の女政治家の銃殺と初老男性への暴行だが、私とは別の視点として、夜な夜な地下室へ少人数で集まり賭けのゲームをする危険な雰囲気漂うグループ、1人が辞めようとするが別の者に制裁を加えられ抜けられなくなる様子、賭けやアルコールにはまりすぎて恋人に見限られる男、そしてそれらのグループ複数を運営する男達。最上位メンバーは奇人揃いで、人間の解体ショー鑑賞が趣味だったりカニバリストだったりした。彼らと私との直接の関係は不明だが、私はここの掃除屋だったのかもしれない。

 

石仏群施設は組織への隠された入り口のようなものだったらしくすぐに通り過ぎ、まず学校のような構造のプレハブ施設へ通された。そこには年齢が一目では分からないほど年老いていながらはきはきと喋る着物を着た男性が待っていた。私が石仏群に怯えていたため、「美術については誰に習った」と問われ、私は正直に習った老人の名を言った。彼は師事していた当時でも、今目の前にいる老人と同じくらいしわしわに年老いていた。すると周りがどよめいた。雰囲気を感じ取るに、現在では生きていることがありえない様子だったが、不思議とその場に私の言葉を疑う者は居なかった。紙と筆を渡され、師匠が書いたとされる文字の見本をそっくりに書き写すと、私が技術を受け継いでいる証拠となったようだ。

そこで、私は当面この施設で重要文化財の修復作業を任されることとなった。

 

逮捕から一転重役を任された翌日、施設生活一日目。早速短い写本を書き上げた。出来は良かったようで、回収された。師匠の技術が、逮捕されようやく日の目を見ることになってしまった事が申し訳なく、泣いた。

 

二日目。今日の監視役はガタイの良い灰色の髪の初老男性。ていうかあの時から見た黒服みんな灰色の髪だ。今後も灰色の髪の男ばかり出てくるのだろう。写本の作業を少し進め、年齢不詳の老人と再び顔を合わせ、和室に座り三人であらためて話した。私は着物を着て、畳の上での動き方やマナーを二人に教えてもらい、座った。年齢不詳老人は、師匠と知り合いだったらしい。下手すれば師匠と同年代の可能性も出てきた。師匠とはある日連絡が途絶えてそれっきりだったが、亡くなっていたらしい。その後は二人の年上の取り留めもない話を、茶と菓子を片手に数時間興味深く聞き続けた。特に腫れ物扱いされなかったのを不思議とあたたかく思いながら。

 

三日目。監視役は昨日と同じ男性。和室で二人で話していると、見知らぬ声のやかましい女がやって来た。監視役のおじさんと言葉を交わしていたかと思えば突然私に話を振り、今夜はこの和室でみんなで雑魚寝する日で(なんで?)知らない政治家の老人が私が美人だという噂を聞きつけレイプしに来ると言ってきた。殺人鬼の私を相手に、ゲテモノ食いのジジイも居るもんだなと思いながら、「普通に嫌だ」と答えた。否定もされなかったが、特に事態が好転するわけでもなかった。一見お堅そうな政治家・警察界隈にもあのカニバリスト奇人たちのような者が居るんだな、いや紙一重なのか、と考えながらお茶を飲んだ。

夜、本当に皆が集まって雑魚寝していた。年寄りばかりだった。私は護衛かつ監視の為男性(マスオさん、というらしい)の隣に寝ろと指示されたが、知らない男の隣に寝るのは普通に嫌なのに加えて今日は虫の知らせのように一際嫌悪感が強かったので、昼間に会った女の隣で寝ることにした。女は殺人鬼が隣に寝ることに最初とても不安そう(そりゃそう)だったが、すぐに昼間の調子に戻りでかい声で軽口を叩き始めた。私は女が今から寝るのに化粧を落としていないことに気付き、ちゃっかり男ウケを狙っているんだなと思いながら「肌が綺麗」「唇の色が素敵」と遠回しに指摘したが、女の性格上全然察さないどころか言葉通りに受け取って図に乗り始め、声もますますやかましくなり面倒になってきた。すると例のレイプ宣言政治家が来たらしく、女が私がここにいるとバラした。私は女の相手のほうが面倒になっていたので、最悪な事態が最悪な事態に変わっただけだが一瞬女の気が私から逸れたことに安心し、眠ることにした。護衛兼監視も近くで寝ているし、実際に手を出されてからどうするか考えることにした。しかし心構えができたものの一向に触られる気配が無い。そのまま何も無いまま一夜が明けた。

今思うと、私の貞操観念・価値観について測る試験だったのかもしれない。

 

四日目。今日の監視役は相変わらず灰色の短髪だが、珍しく若い男性だった。ハジメチャンそっくり。逮捕された夜に居たうちの一人だった気がする。若いので目立っていた。

施設での暮らしも慣れてきた。牢にも入れられず手錠も嵌められず、監視さえ居れば歩ける。和室(談話室)へ行けば年寄りの雑談を聞けるし、あれは何と問えば真摯に答えてくれる。本当は居てはいけない場所ではあるが、はっきり言って前居たところよりも快適だった。覚えは無いが、私は血の池から来たのかもしれない。しかしここは温度も適切で、食事も美味しく、私の話を聞いてくれる人がいる。ずっとここに居たくなってしまう。ゆりかごなのか地獄なのかすらわからないなと考えていた。

昼間にハジメチャンと二人で歩いていたところ、白い扉へ大勢の黒服が集まっていたので珍しいな、何だろうと思い見ていたら、検死だよとハジメチャンが教えてくれた。殺人鬼に意見を聞くこともある(本当に?)と言って、話の流れで見学させてくれた。死体は死体と言っていいのか、そういう加工をされた精肉なのか分からないバラされ方をしていた。たしかにこんな手口は見たことがないので、正直に「どうやったのか分からない、切り口が焼けていてレーザーで切ったみたい、だけど皮膚だけ焦げずにギザついているのが気になる、この『分からなさ』『噛み合わなさ』が引っかかるので鍵だと思う」と言った。真剣に答えたつもりだが、探偵でもない者が適当に野次をふっかけて帰ったことに変わりない。

夕方、外に出た。赤い空がきれい。風情ある和風建築の横道を二人で歩き、向かいの水色の洋食店に入った。私達の他にも一般客(みんな金持ちそう)はいたが、私達の座る席には先客が居た。また灰色の髪の初老だが、きらりとした鋭い視線と、皺があるとはいえ一目見て美しいと思えるほどの美貌が特徴的な男性だった。彼の隣の席に付き、晩ごはんにとびきり美味しいフルコースを食べる。隣の鋭い視線が、私の食事の作法を観察しているのが分かる。食事はオードブルから既に美味しくて、腹にスルスル入っていく。こんなに美味しいものを食べたのは久しぶりで、食べれば食べるほどどんどん幸せになっていくのがわかる。

しかし、途中で出たチヂミ(?)で手が止まり、どうしても食べられなかった。長時間停止しやっとの思いで箸をつけたが、隣の美貌の男性が「無理に食べなくていいよ」と言ったので、私のフルコースはそこで終わった。

帰り道、「あんなに美味しそうに食べてたのに、途中で残してよかったの?」とハジメチャンに声をかけられた。私は正直に感じた事を口に出してしまった。あのチヂミを前にした時、幸せに満ちすぎてこれ以上食べたらおかしくなりそうな気がして戸惑ったこと、そしてその幸福と興奮のままチヂミに箸をつけた瞬間、人間の目を抉ったときのように錯覚した

事、「無理に食べなくてもいい」という言葉のおかげでハッと我に帰れた事。今まで殺人に快楽は感じていなかったけど、抵抗も無かったから私にも獣の気質はあるのかもしれないとあらためて思い知らされた事。それを聞いたハジメチャンは嘔吐していた。私は驚いて、彼の背中をさすりながら大声で「誰か」と叫び人を呼んだ。周りの人があまりにも優しくて、私の話を聞いてくれるから、うっかり油断して話してはいけないことまで言ってしまった、気を引き締めねばと反省した。

 

ここで目が覚めた。

薄暮とナンキン(かぼちゃ)

只今、理想の自然に囲まれ、日が出ているうちはピアノとオカリナの練習、夜は飯を食べ風呂に入りさっさと寝る、眠れない場合はゲームしたり配信サービスでダウンロードした映像作品を見たりお人形の服を縫ったり(つまり自宅にいるときと変わらない行動)とにかくやりたい放題やっています。ここまで自分のやりたいことを自由に決め、実行することができる環境はとても嬉しいです。楽器で遊べなくなる夕方、(夜に演奏すると蛇が出るという迷信のため)美しい自然を眺めながらぼーっと「退屈だ」と思えるなんて、これ以上ない贅沢です。私の住んでいるところは山中というだけで、そこに本当の自然はありません。なんだかんだ家があり、人がいて、散歩をすれば不審者扱いされる息苦しい場所なのです。なので、実家に戻れて本当によかった。向こうだとキャンプ場に行くことでようやっと感じられる自然が、自宅の玄関先の日陰に椅子を用意し座るだけで浴びられる。自然の癒しに飢えた身によく効きます。風が気持ちいい、自然が気持ちいいといった感覚は大切だとインターネットフレンズが言っていました。

また、音楽の練習を気軽にできるのも嬉しいです。特に本物のピアノに触れられるのが良い。iPadだとうまく弾けません。しかし本物のピアノでもへたくそです。いつも間違えます。オカリナも高い音は日によって出せないときがあるし、低い音は穴を塞げなくてもっと難しいです。それでも、半分うまく弾けない自分にイライラしながらも、半分は楽しいです。楽器はとにかく練習あるのみなので

明日は何をしようかな。だいたいは決まっています。やりたいこと、楽しいことをする。あまり伸びがよくないシャボン玉を孤独な庭先で吹きながら、別のシャボン液を買えばよかったと思いました。

眠れない2021/09/03

現在、深夜1時半。実家に帰る前の中間地点として、母親の家に泊まっています。流行り病を故郷へ持ち込むことに怯え、部屋でも常にマスクをし、アルコール消毒をし、互いに細心の注意を払っています。全ては実家に帰るため。

それはそうと、これは今に始まった事では無いのですけれど、私、母親の家では全く寝付けないという未だに謎の現象が起きていて、毎回苦しんでいます。カウンセラーの人に相談すると、母と共にいる状況にストレスを感じている、もしくは安心できないのではないか、と言われました。心当たりしかない。忘れられない忘れもしない母と二人暮らしだった高校生活時代、学校に居場所が無くて夜悲しくても泣くと怒られ、自殺しようとすると止められ、学校も家もどこにも甘えられる場所はありませんでした。(塾が唯一、鬱病自殺念慮を隠して笑う私でも、近寄りすぎず目を離しすぎず、程よい距離で受け入れてくれたことがどれだけ有り難かったか。)母は今隣でとっくに寝ていて、私だけが布団の上でのたうち回っている状態です。かといって私も夜更かししてまでやりたい事は特に無く、(むしろ作業のキリが良いからもう寝ようと先に提案したのは私のほうです。)寝ようにも寝れないまま夜更かしがてら隣の人の睡眠を邪魔するわけにもいかず何もできないで、それなりに苦しいです。どうしよう。困り果てて、今こうして文字を打っています。

そうしていたら重大(?)なことに気付きました。晩ごはんのぶんの薬を飲んでいない。アッチャーやっちまった。晩ごはんは母が用意してくれて、自分の不摂生な食生活と比べて文化レベルの高い食事を久々に食べることができた嬉しさと満足でつい忘れてしまいました。いや本当は現在処方して貰っている薬に睡眠を促す薬は一つも無いので今眠れない状況を打開してくれるわけでは全く無いのですが、それ以前に医者の指示には必ず従わなければならないのです。とあるゲームのキャラクターが言っていました。へびつかい座、星空にでっかく横たわっていて好きです。

では、最近友達が配信をしてくれて嬉しい話でもしましょうか。彼女も遂に病みの人間側に足を踏み入れてしまい、ツイートも日に日に暗くなり、(今は比較的マシとはいえ自分も同じ経験があるので)かなり心配していました。今までできていた事が次々とできなくなっていく。そして自分を責める。今でこそ分かりますが、こんなの絶対ダメですよ。病んだ当人に言葉は届かないとしても、仮に世界中全ての他人の信用を失ったとして、最後に残るのは自分だけなんだから、自分を責めるのは絶対やっちゃいけない。一度この状態に陥ると、自分を褒めて認めることを忘れてしまうんです。誰でも、どうしても忘れてしまう。あなたがあなたを肯定しなくてどうする!一応文字上で声はかけておきましたが、淡白な文字に私の気持ちは乗らず、彼女は電話が苦手だから、励ましたり冷えた心を温めてあげることすらできない。そんなこんなで心配しながら見守っていると、彼女は昼夜逆転を開き直って配信を始めました。私から電話はできないけれど、彼女の方から声を発してくれることがとても嬉しく、何より声が聞けて安心しました。彼女が生きているという確認。と同時に、こういうところが彼女の強さだよな、相変わらず強い人だと再確認しました。昼夜逆転を受け入れ手を動かす意思の強さは、私には無い輝きです。病みへ堕ちてもまだあなたはきらりと輝いていますよ。その眩しさが私は好きで、応援してて、これからも友達でいたいんです。

まだ眠れません。現在深夜215分。これから朝まで、どうしよう

雲隠れのお知らせ

しばらく休養目的で実家に戻るため、私が唯一生きていると言ってもいい、インターネットから一時離脱します。どこかでWi-Fiを受信できたらいいのですが…。毎秒Twitterを開く私には実家にWi-Fiが無いのは辛いことです。

しかし、実家に戻れることを楽しみに思っています。これまでたくさん頑張り、実家に戻ればやっと休めて、好きなだけ『何もしない』をできますからね。皆がお盆休みや年末に帰省し、家族団欒をしたがる気持ちがやっとわかった気がします。それに以前から「一度実家に戻って休んだほうがいい」と言われていました。(当時かなり病んでいて、療養を勧められていたのだと思います。)かなり楽しみにしているので、このご時世とはいえ直前になって「あ、やっぱハイリスクなんで辞めますw」てなったらけっこう落ち込みます…。どうか無事に帰れますように。

私の在住する市でも、毎日感染者が増えていて、家から出ていない生活とはいえ、故郷に病を持ち込むことになる可能性がゼロではないことを思うと、怖いです。YouTubeの配信者の人も、コンビニ往復生活をしていて患ったと言っていたので、本当に運ゲーと言いますか、罹るときは罹るのが本当に怖くて。

とりあえず現状は、インターネットから居なくなる予定です。龍になるために、雲の隙間に消えて修行するつもりで、行ってきます。人間の世界へ降りるのは、9月下旬を予定しています。ちょうどソシャゲのイベント全く走れませんね。残念。ですが本当に、どうか無事に故郷へ帰れますように…。

最近元気

こんばんは。今日は夜更かししてますが、最近なんと元気になりました。いつもの数日だけの一時的な躁状態でなく、7月下旬から継続しています。

と言ってもゼエゼエ命を削りながら走り続けて、振り返れば何か色々やっていたなあ、という感じです。でも絵が描けるようになったのは万々歳です。やったー!

考えが変わったといいますか、とある友人が言っていた「タスクが来ると真っ先に消化する。放っておくと『まだアレやってない』『やらなきゃ』と毎秒追い詰められるから」という言葉がめちゃくちゃ腑に落ちて真似っこしています。その子の中にはその子を責める存在がいるらしく、それなら尚更辛いだろうなあと思いました。以来タスクが来たらしんどくても真っ先にやっつけるようにしています。(一度放ると日に日に億劫さが増し、本当に手をつけなくなるので。)すると溜める派だった以前より気持ちがかなり楽になり、目の前の次やるべきことが明瞭に見えるように、真っ直ぐ向き合えるようになりました。良い事しかない。

あと、きちんと休みを取るようにしています。頑張った後の自分へのご褒美として、一日「何もしない日」を設けています。どうやら人間あまりにも何もしないでいると、自然と何かやろうと手を動かし始めるようです。その時間でやる事が、変にりきまず、リラックスしながらできる「趣味」なのかなと思います。ちなみに今はお人形用の服を縫っています。絵は仕事だと思っているので、趣味ができて嬉しいです。また別の人には、「君はもっと自分を褒めていいと思うよ」と言われました。では彼を真似て、甘いお菓子を買ってご褒美に食べようかな。

ひとまず今はこんな感じです。もしまた私が躓いた時用のメモとして、書き残しておきます。ちなみに家事は最低限できています。最低限。でも、それでも生きています。だからこれでいいや。今、大変ながらもなんだかんだ幸せです。変な気持ちです。

 

近況報告2020/11/17

あれから外の世界がなにやら危険ということでみんなと会えなくなり、以前部屋でひとり閉じこもっていた頃言われた「インターネットにしか存在しない友達みたいだ」(心配かけてごめん!)という言葉をヒントに、ちゃんと肉体で生きている証明として音声記録を残すことに挑戦するもいつも通りすぐに飽き続かなかったり(更新頻度、数ヶ月に一度とか酷い有様です)、新しく始めたゲームをきっかけに遠くの親友と頻繁に連絡を取り合うようになって内心メチャクチャ嬉しいなど、まあ色々ありました。

 

ただこの半年以上続いた春夏休みの中で、自分の身にいくつか変化が起きました。例えば外に出かけて刺激をもらうことの心地良さに気付いて(よりによってこのご時世に・・・ただ、人が消えた街は本当に心地が良かった!最近は観光客が戻ってきて、お気に入りの喫茶店が営業再開したのは嬉しいけど人が多いのは正直ウンザリ・・・もっかい世界が大変なことにならないかなーなんて。逆張り、というやつです)今まで散々閉じこもっていた部屋の中が嫌いになりました。こんな窮屈な四角い箱、一刻も早く出て行ってやる!という気持ちでいっぱいです。でも嫌悪感に邪魔されて自室での作業効率が落ちたので、部屋を嫌いになりすぎない為に最近は花瓶に一輪花を挿すようにしています。これが意外と楽しいです。鉢植えの植物は今まで散々枯らしてきましたが(ごめんね・・・)、切り花は私が飽きる前に枯れるので最期までお世話できますし、一日1回の水替えは5分もかからず簡単なので後回しにせず取り掛かりやすいです。今度は何の花を買おうかな、と外に出掛けるきっかけにもなり助かってます。

抽象的な、精神の話になりますが、気分が落ち込んだ時の「底」がだんだん浅くなっていると感じています。光届かぬ深海へ深く深く沈んだ時の、海底。これ以上は沈まないという地点。以前より水深が浅くなっている気がします。少しずつ浅瀬へ向かっているのかな?だとしたら嬉しいですねー。

一番明確な変化は、文章がスラスラ読めるようになったことです。これまでは短い文章ですら読んでいると突然どこの行まで読んでいたか見失って、探して、見つけて、また見失って行を読み直して、という感じで同じ行を何度も読み直して非常に効率が悪く、やがて文章を読むことを敬遠するようになっていました。例えばすごく疲れているときって気になる記事を見つけても「今は無理・・・明日読もう・・・」とブクマして寝るじゃないですか。その疲れて文章を読めない状態がずーっと(8年も!)続いていたんだなと今なら分かります。本当に長い期間私は疲れていたらしい。今はこうして文章を書く上での推敲もスムーズ、小説も詰まることなく読めます。最近読んだ中だとゴールズワージー『林檎の樹』がお気に入りです。「絶対私の一番好きな『ヘスペリデスの園』の話だ!」とタイトルだけで手に取りましたが内容も私好みでした。夢のような思い出は綺麗なままで保存しておきたい派なので、幻滅せずに済んで良かったです!

 

かといって全てが絶好調なわけではなく、相変わらず風呂に入るまでが非常に億劫ですし、睡眠時間も安定せず振り回されてばかりです。一度生活リズムが狂うと戻すのに最低2週間はかかる。2週間はまともに外へ出られない。2週間。その間にいろいろなことができたはず。貴重な時間をドブに捨て足踏みしたままの現状は、正直苦しいです。未来もぼんやり暗いし。こんなブレブレ生活リズムで近い将来ちゃんと働けるのだろうか。無理そう。アルバイトのおかげで生活リズムを戻せているみたいなとこあるけど、これが週6日出勤とかだとブッ潰れるんだろうなー。

 

それにしても、なんで今変化し始めたのだろう?心当たりがある最初のきっかけは、漫画を描いたことですかね。初めてではないはずなのに、その日はやけに楽しくて。そこから「やりたいことをやる」ことが一番大切だと思い出せたというか、これまでは何かと理由をつけて我慢しすぎていたみたいで、うまく息抜きするコツを掴めた感じです。全てから逃げて布団にくるまり何も為さないのではなく、逃げた先で英気を養って作業に戻れる、良いサボり方を覚えた・・・気がします。端から見ればサボっているのは変わらないんですけど、前より元気です。「遊ぶのは宿題が終わってから」を厳守しすぎると、やりたいことをする時間が作れなくなって病むらしい。

 

まだまだ健常者には程遠いですが良い変化の兆しがいくつも見えているので、今後に期待です。まさか未来に希望を見出す日が来るなんて!いつぶりだろう。生きてるとこういうこともあるんだ。諦めなくてよかったかも・・・?