希死念慮・増刊号

不定期更新。数年後とかかもしれない。

薄暮とナンキン(かぼちゃ)

只今、理想の自然に囲まれ、日が出ているうちはピアノとオカリナの練習、夜は飯を食べ風呂に入りさっさと寝る、眠れない場合はゲームしたり配信サービスでダウンロードした映像作品を見たりお人形の服を縫ったり(つまり自宅にいるときと変わらない行動)とにかくやりたい放題やっています。ここまで自分のやりたいことを自由に決め、実行することができる環境はとても嬉しいです。楽器で遊べなくなる夕方、(夜に演奏すると蛇が出るという迷信のため)美しい自然を眺めながらぼーっと「退屈だ」と思えるなんて、これ以上ない贅沢です。私の住んでいるところは山中というだけで、そこに本当の自然はありません。なんだかんだ家があり、人がいて、散歩をすれば不審者扱いされる息苦しい場所なのです。なので、実家に戻れて本当によかった。向こうだとキャンプ場に行くことでようやっと感じられる自然が、自宅の玄関先の日陰に椅子を用意し座るだけで浴びられる。自然の癒しに飢えた身によく効きます。風が気持ちいい、自然が気持ちいいといった感覚は大切だとインターネットフレンズが言っていました。

また、音楽の練習を気軽にできるのも嬉しいです。特に本物のピアノに触れられるのが良い。iPadだとうまく弾けません。しかし本物のピアノでもへたくそです。いつも間違えます。オカリナも高い音は日によって出せないときがあるし、低い音は穴を塞げなくてもっと難しいです。それでも、半分うまく弾けない自分にイライラしながらも、半分は楽しいです。楽器はとにかく練習あるのみなので

明日は何をしようかな。だいたいは決まっています。やりたいこと、楽しいことをする。あまり伸びがよくないシャボン玉を孤独な庭先で吹きながら、別のシャボン液を買えばよかったと思いました。